求道すでに道である

宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を繰り返し読んでいて
読むたびに新しい気づきが。

先日 音曼荼羅の世界展で見せていただいた神楽のこと。
一昨年行った 高千穂で見た神楽のことを想ったり。

亥士さんの参加してる神楽は月に2回練習しているのだそうで
体の基礎もあるし、音楽を生業とする彼のパフォーマンスは
ずば抜けていることは 驚かないことで。
他の人たちは、関係のない仕事と生活があっての神楽。

高千穂で神楽を奉納する人たちも
仕事と生活があって
傍ら 練習して 観光神楽を毎夜交代で行って
一年に一度の奉納のために
伝承していっていて。

高千穂神社での観光神楽、
一日目は うん、一般の人が 舞ってる という印象で。
縁あって 見に行った2回目
鳥肌が立つ 降臨具合で
本当に心から感動した。身体も良く出来ていたし。

彼ら、利益関係なくて。
芸術という意識かわからないけど。
それがなきゃ あの瞬間はないし。
農家で。芸術家。

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「踊り手」ってことについて
やっと 自分なりにまとまった。
「踊り手の体」「踊り手の精神(こころ)」「踊り手の霊性(いのち)」
があって
これらをキープしていること。

その身体は 毎日の鍛錬とケアが必須 踊り手の体がどんな体か「わかる」こと
そのこころは 利害やエゴと自分の関係を観察し続ける強さを持ち 「表現したいまま」でいること
そのいのちは 生活そのものが祈りであるように

これらを 持続と継続と向上をし続ける
それが「踊り手」ってこと。

自分との約束。足を運んで感じてくださるお客様への責任。
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by amenouzume2007 | 2009-06-05 23:24 |
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